2011年について思うこと

2011年ってすごいターニングポイントの年だったんじゃないか、とその渦中にいる間は思っていたのだけど、一応年を越して振り返ってみると「体(てい)のいいもの/善きものがやたらフィーチャーされる」という年だったんじゃないかと思えてきた。

 

「体のいいもの/善きもの」というのは、いかにも口当たりのいいような物言いとか、裏打ちのない空虚なポジティブさみたいなもの。こういうの前からあったんだけど、3.11を機に一気に加速した感がある。「被災地を励ます」とか「がんばろう日本」とかさ。あと「絆」ね。

 

意地悪な見方かもしれないけど、こういう言葉をメディアで発する人って本当にそういうこと思ってんのかな〜と疑問に思う。愚直にそう思ってるだけなら別にいいんだけど、なんか「こういうのじゃないとまずいでしょ」みたいなさ、「届く言葉」よりも「怒られない言葉」を中心に選んでいるような気がしてならない。で、けっこう本人はそのことに無自覚だったりして。

 

さっきNHKオンデマンドで見逃してた紅白をかいつまんで観てたんだけど、やっぱり国民的行事である紅白にはその色が濃く現れていて。当たり前だろうけど、歌詞を要約すると「がんばれ」になるような歌が多かった(あとは「好きだ」)。老若男女が視聴する国民的番組なので、ある程度は「被災地がんばれ」的なノリになるのはもちろん理解できるのだけど、なんか度を越して空虚に思えるようなところがあったんだよね。レディー・ガガの歌詞テロップがものすごい意訳されてたことはその傾向の一つの表れだと思う。で、たぶんこの流れは今年以降もしばらく続くに違いないわけで。

 

メディアの問題って挙げたらたくさんあるんだろうけど、「流通する言葉が空虚になっていく」という問題はすごく本質的な、根の深いことなんじゃないかな〜と。